フェアヘーブンとニューベットフォード
フェアヘーブンとニューベッドフォードはボストンから車で約1時間南へ走ったところにある海辺の町。しばらく西へ走ればペリー総督が日本へと船出したロード・アイランド州ニューポートの港があり、東へ走れば1620年メイフラワー号が到着したことで有名なケープコッドのプリマスロックに至る。アクシュネット川の河口を挟んで西側にニューベッドフォードが、東側にフェアヘーブンが広がる。
二つの町は結びつきが強く、もともとは一つであった。そもそもインディアンから1652年に土地を買い求めたのは、イギリス人36人のグループである。そのうちの1人ジョン・クックはメイフラワー号に乗ってアメリカへ渡った約100人の1人でもあった。クックはこの土地をダートマスと名づけ、家を建てて実際に住みつく。この土地は徐々に発展し、クックはプリマス議会でダートマスを代表するセレクトマンに選ばれた。そして、1695年にこの土地で息を引き取る。メイフラワー号でアメリカに渡った男性のなかで最後まで生き残った人物として歴史に残っている。ダートマスからは、その後1787年にニューベッドフォードが独立し、1812年になってニューベッドフォードとフェアヘーブンが分離した。このようにこの地域の歴史は、アメリカの中では特段に古い。特にホイットフィールド船長の家が建つ北側の一角はジョン・クックらが最初に住みついたところで、渡し船の船着場がおかれ、最初町の中心として栄えた。今でもこの地区には1742年に建てられた家を筆頭に、十八世紀の家が十軒以上並ぶ。他の家もほとんどが十九世紀はじめに建てられたものである。ところが1790年に最初の橋が川にかかると、フェリーが廃止され活動の中心が南へ移り、発展からとりのこされる。もともとオックスフォード・ヴィレッジと呼ばれていたこの一角は一時すたれて貧しい人が住むようになり、今でもその名残でポヴァティー・ポイントと呼ばれている。そんな名前を今でもそのままにして人が住み、歴史を大切にしている。
ニューベッドフォード、フェアヘーブンで捕鯨が始まったのは十八世紀中頃のことだった。主にランプ油や工場の潤滑油にするための鯨油をとるためであった。十九世紀になると最盛期を迎え、この二つの町だけで200隻以上の捕鯨船を有していた。万次郎がこの町に来た頃には、捕鯨で町が最も豊かだった頃でポヴァティー・ポイントには世界の海で活躍する船乗りが何人か家をかまえ、静かな住宅街となった。万次郎がホイットフィールド船長に連れられて到着したフェアヘーブンのこの一角には、すでに二世紀近くにわたる豊かな歴史があった。ポヴァティー・ポイントの雰囲気は、万次郎がいた頃からその後ほとんど変わっていない。
阿河尚之特別紀行文『ジョン万次郎の見たアメリカ』より抜粋
二つの町は結びつきが強く、もともとは一つであった。そもそもインディアンから1652年に土地を買い求めたのは、イギリス人36人のグループである。そのうちの1人ジョン・クックはメイフラワー号に乗ってアメリカへ渡った約100人の1人でもあった。クックはこの土地をダートマスと名づけ、家を建てて実際に住みつく。この土地は徐々に発展し、クックはプリマス議会でダートマスを代表するセレクトマンに選ばれた。そして、1695年にこの土地で息を引き取る。メイフラワー号でアメリカに渡った男性のなかで最後まで生き残った人物として歴史に残っている。ダートマスからは、その後1787年にニューベッドフォードが独立し、1812年になってニューベッドフォードとフェアヘーブンが分離した。このようにこの地域の歴史は、アメリカの中では特段に古い。特にホイットフィールド船長の家が建つ北側の一角はジョン・クックらが最初に住みついたところで、渡し船の船着場がおかれ、最初町の中心として栄えた。今でもこの地区には1742年に建てられた家を筆頭に、十八世紀の家が十軒以上並ぶ。他の家もほとんどが十九世紀はじめに建てられたものである。ところが1790年に最初の橋が川にかかると、フェリーが廃止され活動の中心が南へ移り、発展からとりのこされる。もともとオックスフォード・ヴィレッジと呼ばれていたこの一角は一時すたれて貧しい人が住むようになり、今でもその名残でポヴァティー・ポイントと呼ばれている。そんな名前を今でもそのままにして人が住み、歴史を大切にしている。
ニューベッドフォード、フェアヘーブンで捕鯨が始まったのは十八世紀中頃のことだった。主にランプ油や工場の潤滑油にするための鯨油をとるためであった。十九世紀になると最盛期を迎え、この二つの町だけで200隻以上の捕鯨船を有していた。万次郎がこの町に来た頃には、捕鯨で町が最も豊かだった頃でポヴァティー・ポイントには世界の海で活躍する船乗りが何人か家をかまえ、静かな住宅街となった。万次郎がホイットフィールド船長に連れられて到着したフェアヘーブンのこの一角には、すでに二世紀近くにわたる豊かな歴史があった。ポヴァティー・ポイントの雰囲気は、万次郎がいた頃からその後ほとんど変わっていない。
阿河尚之特別紀行文『ジョン万次郎の見たアメリカ』より抜粋
現在のフェアヘーブンの写真