足摺縁書起二巻は、金剛福寺の縁起について述べ、中には多宝塔建立の由来、降魔蹉跎の古老伝や補陀落渡海の言い伝え等が記されています。巻末には「享禄壬辰仏涅槃前七日依大壇越仰謹誌之孤山羊僧尊海」とあり、大壇越、一條房家の仰せにより尊海大僧正の筆文になるものであることは明瞭です。しかし写真の縁起書は江戸時代初期の筆写によるものです。
筆者の尊海は、文亀、永正年間、仁和寺真光院の法灯をつぎ、文亀年間に「仁和寺御伝」を選した人として名高く、永正18年(1521)に土佐に下向し金剛福寺に来住し金剛福寺の院主を務めました。仁和寺真光院の院主の尊海が、直接金剛福寺の法灯を継いだことは、如何に金剛福寺が重視されていたかがわかると同時に、縁起書文中より一條氏の保護を受けた金剛福寺の、中世における繁栄の様子をうかがい知ることができます。
写真提供:土佐清水市の指定文化財第6集より
詳細情報
土佐清水市指定文化財 | |
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種別 | 有形(書跡・典籍) |
指定年月日 | 昭和39年7月15日 |
指定番号 | No.51 |
所在地 | 土佐清水市足摺岬字足摺山214番1 |
所有者等 | 金剛福寺 |
形状 | |
問い合わせ先 | 生涯学習課 |
電話番号 | 0880-82-1257 |
メールアドレス | syougai@city.tosashimizu.lg.jp |